キャバクラ嬢として活躍していて、誰もが知る存在になった人もたくさんいます。キャバクラ嬢から芸能人に転身する、という人も実は多いのです。キャバ嬢から大きく羽ばたいた、有名キャバ嬢についてご紹介します。
現在ではコメンテーターなどをしてテレビに出演している立花胡桃さんですが、実はキャバ嬢だったことでも有名です。なんとキャバ嬢時代は、週給が200万円だったといわれており、伝説を残したキャバ嬢にもなっています。18歳のときに夜の世界へスカウトされて、約8年間キャバクラ嬢として働いていました。在籍したお店では常にNo1、そして1晩で1000万を売り上げたこともあるといいます。
立花胡桃さんがキャバ嬢時代にしていた営業は、お店に来たお客さんの誕生日にはメールを送る、来店してくれたらケーキなどを準備する、など気の利いたことをたくさんしていました。そして、飲み過ぎたことで翌日起きれないというお客さんにはモーニングコール、冬は寒いからホッカイロを渡す、一人暮らしの人にはお弁当を渡す、遠くから来てくれた人にはおにぎりを渡す、などととにかく男性がグっとくるようなことを、キャバ嬢としてちゃんとしていたそうです。
その営業力の高さこそが、今でも伝説として受け継がれる、びっくりする売り上げの数字に繋がっているのではないでしょうか。
自著であるユダでは、No1になるためのキャバ嬢の鉄則などがかかれています。これから売り上げを上げたい、伝説のキャバ嬢になりたいという人は読んでおくと役にたちます。
あなただけは特別だよ、とお客さんに自分が特別であることを認識してもらう、というようなポイントから自分にとってデメリットとなる男の人はすかさず切る、なんていうワイルドでシビアな発言まで…色々書かれています。
26歳で引退してから、2010年には結婚しています。今の旦那さんは立花さんがキャバ嬢だったころからの付き合いだったそうです。それだけ立花さんは男性を惹きつける力がある、ということでしょう。
なんと一晩で2800万円を売り上げたことがある、といわれている愛沢えみりさんは、歌舞伎町でNo1として働きながら、小悪魔agehaのモデルなどもしていて、一気に知名度が高まりました。18歳の時に始めたキャバ嬢は、楽そうで時給が高いから、という単純な理由がきっかけです。でもそのキャバクラこそが、愛沢さんにとっての学校になったそうです。お客さんと話をすることで相手が楽しんでくれているのかもわかるし、頑張ったら頑張っただけ指名をもらえるようになって、それがうれしくなって1番になりたい、と思うようになったとのことです。
でも最初は指名ももらえずになかなかうまくいかない日を過ごしていたのですが、そんな時に変えたのが生活スタイルだとか。歌舞伎町で人気が高い老舗キャバクラへと入店して、今までは夕方過ぎに起きていた生活を昼には起きる生活に変えて、同伴の回数も1回から2回、3回などへ増やして…など努力を惜しまずに過ごした結果、なんと1年ほどでNo1になっていきます。
さらにNo1であり続けることにもプレッシャーを感じながら、そして小悪魔agehaでモデルもやりながら、それでもちゃんと毎日出勤するという日々を過ごして、ずっと地位を保ってきたとのこと。
2013年にはアパレルブランドを立ち上げています。人気キャバ嬢になる人はたくさんの努力をして、人一倍苦労して頑張っているんだな、ということがわかりますよね。
高校を中退してから、福岡にある中洲のキャバクラ嬢となったのが、夜の世界に入ったきっかけでした。福岡の中州では入店してからすぐにナンバーワンとなり、19歳になったころにママとして引き抜きの話を受けて、母親を説得してママとなった、というすごい経歴の持ち主です。そのお店も売り上げをぐんぐんと伸ばしていって、経営は大成功、21歳になってさらなる活躍の場を求めて上京します。
上京してまず、六本木のクラブであるピアノに入店し、2ヶ月でナンバー2まで上り詰めます。さらに22歳で銀座のキャバクラであるビゼへと入店、富裕層をターゲットにしたお店で1年ほど働くことになります。成績発表をしないお店だったことから当時の売上は不明ですが、毎月トップクラスの売上だったとのことです。
それだけ順調だったのにもかかわらず、投資詐欺にあって億に近い金額をだまし取られてしまった、という悲しい出来事も経験しています。今ではアパレルプロデューサーとして、そして読者モデルとして、さらにはサロン経営などもしながら生活をしています。実は一時期SDNにも所属していたという経歴を持っています。
3名の有名キャバ嬢をご紹介しましたが、やはり誰もに共通するのは努力をしている、ということです。有名キャバ嬢になるためには大変なこともたくさんありますが、やはり努力が実を結ぶので、コツコツと毎日できることから頑張っていきたいですね。